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(前回のつづき)まぁね、いくらアキオがミーハーだとはいえ、卓偉のお父さん、という事実だけでは、この場所に来ようとは流石に思いませんでしたよ。

しかし、顕治さんの著書『進歩は善か』を読んで以降、急速に中島顕治という人物への興味がふつふつと湧きあがったのです。中島卓偉の父という範疇を越えて…。

遺作となったこの著作は以前にもこのブログで紹介した様に闘病記が収められています。

いやね、これは必見ですよ!!卓偉がなぜあそこまでお父さんをリスペクトしているのかが痛いほど伝わります。
(比較文化学について論じられた本編は難しくて読めてませんでした。すいません、顕治さん…。)

病床についた際も最後まで残された仕事を続けていた姿に、何度心を揺さぶられたことか!!

四月三十日、土曜日、病院
  「普通の患者は入院は一時的生活と考える。そのうち何人かが、外の生活の方が一時的と感ずるようになり、やがて、入院が生活と考えるようになる。
 入院が一時的という気持ちが、入院こそ生活という気持ちに変わる時は、仕事を中心とした自分の社会を放棄すること、あるいは放棄していることの、受容でもある。男には敗北だ。社会はそのとき喪失する。
あの町や学校やオフィスに、人々の間に、自分がいない。自分の大学と研究室に自分がいない。自分の名の表札のある家に、自分がいない。カフカ的な、おそろしい体験だ。落ちる、という感覚か。消える?離れる? いや、死ぬというのが近い」

死の間際まで論文の完成だけに焦点を当て、繰り返される抗がん剤投与の合間を縫って参考文献を探し求め、生徒の卒業論文にもアドバイスを与えていたそうです。

そこまでして己の仕事に向き合った顕治さん。業(カルマ)なのだろうか、宿命なのだろうか?とりあえずノルマではないことは確か。

そのような人間の放つ「仕事を放棄することは男には敗北を意味する」は私の心のゴールネットに深くに打ちつけられました。
俗にいう、ニートや、最近の忙しいからといってすぐ休業をしたがる芸能人達にぜひ読んで欲しいです。

又、お亡くなりになる数日前にはこう記されています。もはや、ここまで来るとつらくてページをめくるのも勇気がいります!!!

五月十八日、水曜日、病院
「それにしても、あと一か月! あと一か月で死ぬ! 何ということか。 女房が一緒に泣いてくれた。今日は仕事を休んだという。無理をしないように、余命一か月だとしても何も変わっていない、仕事を大切にするように、と伝えた。」

、、、辛い、辛すぎる。今、巷を賑わせている下手な難病モノの映画よりも泣かせる…。いや比べるのもおこがましい。

卓偉も将来、妻になろう人物は専業主婦よりも働いている女性の方が好ましい、と発言していました。う~ん確実に影響受けてるんですね。もちろん、佐橋さんも認めた頭の回転の速さも親譲り。

彼はよくブログや雑誌のインタビューで「働くことが楽しいし、充実している。休みが全然無くても苦にならない」と常々発言しています。

「とかなんとか言っちゃって~ミュージシャンだからそうなんだろう?」と問うのは愚問。この人、アマチュア時代には9つもバイトを掛け持ちしていたそう!
こういった彼の仕事に対するスタンスもまた父親譲りなのだと感じますね。

「働くことってどういうことだ?」という悩みがずっとあった私としては、顕治さんが亡くなる直前に残したこの有難いお言葉を読めて大いに刺激になりました。

辛くなった時はこの闘病記を読み、「おい、オマエは中島顕治さんから何を教わったんだ?」と己を叱咤させようと思います。

父親とのエピソードを披露している時の卓偉はいつだってキラキラした瞳で嬉しそうに、時には自慢げに話します。それを見ると卓偉は本当にお父さんを愛してたんだな、とつくづく思えます。


「とにかく親父は厳しかった。やさしいところだってもちろんあるんですけど、基本的にすぐ手の出る人だったんで。泣きそうになったりすると“泣くな!男だろ!”っていつも言われて。そんな親父でしたけど、親父のスゴイ所は俺たちにさびしい思いをさせなかったこと。それは親父、よくやったなぁと思いますよ。俺、母親には申し訳ないくらいなんだけど、ウチは母ちゃんがいなくてさびしいとか思ったこと、一度もないんですよ。日曜とか休みの日って普通、世の中の親父は寝ていたいじゃないですか。でも、おれたちは朝からどっかに出かけてましたもん。それに夏休みとかウチの親父は学校の先生だから比較的長い休みがあるんですよ。そういう場合、普通は休みが始まってまず一日とか休んで、それからどこかへ出かけたりするもんだと思うんですけど、親父は明日から休みだっていうと、休みの前の日、学校から帰ってきたらすぐに、さぁ出かけるぞっていう人でした」(『READ #004』より引用)


う~ん微笑ましいなぁ。仕事も完璧にこなし、家庭も大切にした中島顕治さんは正しく男の鏡ですな。

息子というものはいずれは(気持の上で)父親という存在を乗り越えていかなければいけない、と聞きます。
だとしたら卓偉が越えなければいけない相手は…もうお分かりですよね。かなりの強敵です。

それでも卓偉なら、父の背中を越えることが出来る日が訪れると思います。顕治さんもきっと空の上でそれを望んでいるはず…。


いち音楽ファンのアキオでさえも虜になる、作家であり卓偉の父である中島顕治さん。
そして彼が生まれた拝島。

皆さんも是非、『進歩は善か』を手にして、拝島を訪れてみてください。より顕治さんへの理解が深まると思います。

リスペクト中島卓偉、リスペクト中島顕治。心より。
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昨年の福岡・古賀と山口県・屋代島の旅から約半年…。

自称、“ハードコアな卓偉ファン”のアキオがまたしてもマニアックな旅に出た!


ということで、今回は卓偉のお父さんである、故・中島顕治さんが生まれた東京の昭島市にある拝島町に行って参りました。もちろん相棒はいつも旅を共にしてくれるガックン(通称)。いつも有難う。


卓偉のお父さんは拝島出身で、お母さんは山口県の屋代島出身。

なので中島卓偉は山口県と東京のハーフ、ということになりますね(本人談)。育ちは福岡と茨城だけどね。

昨年の旅で屋代島は制覇したので、これで中島夫妻の出身地はとりあえず全て訪れることができました。コンプリートってやつです。

ここで簡単に前知識として中島顕治さんのプロフィールをどうぞ。

1947年、東京都昭島市で中島家の長男として誕生。教員、学者になることを夢みて、上智大学、明治大学院を卒業し、三鷹高校の定時制の先生となる。28歳の時、福岡県へ転勤。福岡大学の教授となり、結婚。二児の息子を授かり、福岡県香椎市に所帯を持つが卓偉が三歳のころに離婚。
息子二人を引き取り、古賀に引っ越し、全ての家事、炊事をこなしながらスパルタ教育で息子たちを育て、40歳で再婚。出世と共にアメリカ文学の助教授として茨木県筑波大学に転勤。しかし、45歳の夏、悪性のリンパ種のガンにかかり、翌年1994年6月11日に46歳という若さでこの世を去る…。(会報vol.14より)

言うまでもなく、卓偉が最も尊敬する人物です。バンド時代には「涙が枯れるまで」や「白の薔薇」といった亡き父に宛てた歌も存在し、最愛の父への思い入れ伝わります。

著書も五冊出版し、さらにそのうちの一冊の表紙の絵は卓偉が描いたそうです。
そんな卓越した偉人である顕治さんの生まれ故郷へは、東京駅から立川駅まで電車で行き、そこから拝島方面へ出ている市バスに乗ればオッケーです♪

卓偉もお墓参りの際はこのルートで拝島へ足を運ぶそうです。電車でも拝島へは行けるんですが、ハードコアなメンズとしては卓偉と同じルートの方が盛り上がるのでバスに乗車!

ってことで・・・

卓偉も乗ったと思われるバス(もはや恒例のネタ) 

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馳せる気持ちを抑え、バスに揺られること約15分。着いちゃいました、ハイ、拝島!!


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この地で卓偉のお父上は生まれになったのか・・・と思いに耽りながら、まずは一礼。のどかな景色をシャッターに収める。


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顕治さんも通ったと思われる?小学校
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古賀を訪れた時は幼稚園、小学校など色々と巡礼地があったのですが、今回は時間の関係もあり、実はほとんど回ってません。拝島にあるといわれる顕治さんのお墓参りに行くワケにはいかないしなぁ(?)。

それでも顕治さんの生まれた場所の空気を味わえたことが何より嬉しいです。まぁ東京だけあって古賀や屋代島ほど空気自体はあまり美味しくありませんでしたが(苦笑)


拝島で生まれた顕治さんが福岡で雅子さんと出会い、屋代島で卓偉が生まれたのは冒頭で説明しましたね。そんな次男が今では東京の空の下に住んでいるという現実に、父はどんな想いで空の上から息子を見守っているのでしょうか。


亡き父に捧げられた「涙が枯れるまで」という曲の歌詞にこんな一節があります。

「あなたの瞳に映る僕はどんな僕が見えるのでしょうか 遠い空の大都会で生きる僕が見えるのでしょうか」と。。。

丁度、私達が訪れた日の拝島の空は泣きたくなるほど青く、美しかったです。

生前の中島顕治さんは晴れ男だった聞きます。今でも卓偉がお墓参りする日はいつも決まって晴れているそう。父に連れられた旅行でも、雨の日の記憶はほとんど無いようです。

どこまでも続く青い空と、顕治さんの粋な計らいに一礼し、私達は拝島を後にしました。

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後編へ続く。
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いよいよ二日目になり旅も最終日!山口県・屋代島への訪問です。昨日のライブ終了にとんこつラーメンを2杯も食べたので目覚めはBAD・・・、しかし、聖地巡礼を前にしてそんなテンションじゃ失礼なのでアゲアゲで博多を後にしました。それでも博多を去るまえにとんこつラーメンをまた食べましたが♪

屋代島までのルートは博多から山口県の徳山まで新幹線で行き、そこから普通電車で畠山までガタンゴトンします。

畠山に着いたら屋代島はもうすぐ!!駅から右手に向かってどんどん進みます!しばらくすると大島大橋が見えてきます。この橋は映画『ときめきメモリアル』のロケに使われたことがあるそう(?)です!


橋のむこうには・・・おー!屋代島が見えています!

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屋代島は地図では金魚みたいな形をしています。


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日本で最も高齢化率が高い島でもあるそう。正式名称は「屋代島」なんですが、周防国の大島であったことから周辺の小島を含めて「周防大島」と呼ばれることが多いそうです。人口約23,000人(2004年10月現在)。みかんが名産物らしいです。

大島大橋は1kmあるんですが、島にどんどん近づくにつれて鼓動も高まりました。あの瀬戸内海に浮かぶ島が屋代島・・・。卓偉がこの世に初めて降り立った場所・・・。

橋を渡って右に真っ直ぐ歩いていけば卓偉が生まれた病院である大島病院が発見できます!

この屋代島に卓偉が一番最近訪れたのは2005年11月18、19日でしょうか。

卓偉の母方のお祖母さんが亡くなられる約一週間前のことです。ガンで余命一ヶ月と宣告された祖母を前に卓偉は励ましながらも、自分はどうしていいか、どう受け止めたらいいかわからなかったそうです。

帰る日も電車ギリギリの時間まで大島病院に残り、最後に「おばあちゃん、また来るけんね」と、何回もそう言って病院を後にしたそう。

卓偉が生まれた場所でもあり、卓偉のお祖母さんが亡くなられた場所・・・・。決して安易な気持ちで訪れてはいけないと心に誓い、病院にたどり着きました。

ここが・・・卓偉の生まれた病院・・・。香椎花園から始まったこの卓偉巡礼ツアーの最終目的地「大島病院」に登場です!!

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どうやら僕らが訪れた日は休診日のようだったので中の撮影は無理だな~と思いつつも自動扉に歩みよると

「ガウィーン」・・・・

空いた!!

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まさか大島病院の中に入れるなんて・・・。こうなればいつも楽しみにしてくれるブログファンや卓偉さんファンのためにも卓偉が生まれた産婦人科を撮影しなければいけない!と妙な責任感を感じ、アキオさん、犯罪スレスレの行為の撮影に挑戦しました!

中島雅子さんの分娩を手伝ってくれた先生のお名前。

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卓偉が1978年10月19日に生まれた場所。

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卓偉父・顕冶、母・雅子さんが座ったと思われるソファー

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産婦人科のドアノブ(さすがに中には入れませんでした)

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病院のトイレット

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非常口から見た産婦人科

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・・いや、素晴らしいです、大島病院。感無量。あっ、ちなみに病院の待合室の壁に“人生、健康にはアクセル、恋愛にはブレーキ” なんていうポスターは貼られていませんでしたよ(笑)


この産婦人科にて1978年10月19日、20日になる二分前に中島卓偉が生まれたんですよね。どんなROCKな産声をあげたんだろうか?とか色々想像してしまいます。

そんな卓偉も来年2008年で30歳になります。ここの産婦人科の先生も今の卓偉を見たら驚くでしょうね。一目でいいから先生にお会いしたかった・・・。


自分の生まれた産婦人科にも行ったことないのに僕は何をしているんでしょうね(笑)いや、でもこれでいいんですよ、“自分の自慢よりも、卓偉の自慢”がこのブログのコンセプトなのですから。


さて、この大島病院でのBGMはタイトル通り、『FEED BACK '78』と,自分という人間を産んでくれた母親への感謝を表した『NEVER FADES AWAY』をセレクトしておきました。あとTAKUIというミュージシャンがこの世に産声を上げた『トライアングル』も忘れてはいけない一枚でしょう。

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さて、長きに渡り連載してきたこの旅行記もこのあたりで終了です。最後まで読んでくれた皆様、卓偉のルーツを辿るこの旅のレポートほどうでしたか?アキオとしてはファンを約7年続けてきた中で最高の思い出になりました。

福岡のライブで一番、最新型の卓偉を観た次の日に、卓偉が生まれた病院を観るというこの企画、なかなかPUNKな企画だと思います。『過去の僕も知ってください』とは正にこのこと!


ファンのみなさんも古賀・屋代島とも是非訪れてください!きっと卓偉の音楽、というより人間性がますます好きになれると思いますから。

僕はこれからも卓偉にまつわる巡礼ツアーをどんどん行なうつもりです。次は『ひとりになることが怖かった』のジャケットが撮影された新宿歌舞伎町の靖国通りの横断歩道の中央分離帯、渋谷のタワーレコードの裏(ジャケット裏はこっち)、や『VIVAROCK』の歌詞ブックレットに収録された横浜中華街も行きたい!

そこまでいったら『FFF』のPVが撮影された秋田県の鹿角市の炭鉱、『calling you』のPVが撮影された札幌のモエレ沼公園も行くべきだ!そうくるなら『ピアス』のハワイ島、『イノヴェイター』のPVを撮影したロサンゼルスも!他にも卓偉のお父さんが務めておられた筑波大学にも行ってみたい・・・う~ん、夢はふくらむばかりです!

「オレの旅はまだ始まったばかりだ!!」(こんなオチでごめんなさい)


最後に大島病院関係者の方々にご迷惑をおかけしたことを、深くお詫び致します。

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とうとう、旅行一日目のシメであるTAKUI NAKAJIMA 2007[GET OUT TOYBOX TOUR]”ファイナル、福岡drum be-1でのライブです!

古賀から天神へ電車で移動し、drum be-1の近くのホテルへチェック・イン!ライブハウスに入るとほぼ満員。チケットもおそらくソールドアウトしている雰囲気。

大阪公演では前の方で鑑賞していたのですが、福岡では開演時間ギリギリに入ったこともあり、最後列から鑑賞。

定刻をちょっと過ぎた頃、ラジオのDJのアナウンスに導かれるようにしてメンバー登場!そして最後に卓偉が登場し、ジャムセッション開始!

おぉ!キーボード奏者・飯野さんのヒゲがルイージより素敵・・・。しかし大阪より飯野さんを呼ぶ声が少ない、、、、これはマズイと思い、空気を読みながら飯野コールをするアキオ。

1 恋の一方通行
「ジャムセッションの次に演奏されたのはアルバムと同じこのロックナンバー!短い曲なので一秒一音、見逃さずに聴きましょう」」

2 ROLL UP FOR THE UNIVERSE
「大阪と同じ。撮影が入っているので若干ヴォーカルの音量がでかい気がした」

3 ABSTRACT(完全な相関性)
「うーんノリが悪いというか、ノリづらい。次からのツアーでは披露されるのか?」

4 BADLY NOOOO!!!!
「大阪ではマラカスを振っていたがギターに変わっている。こちらの方が分厚くなっていてカッコイイ」

5 イノヴェイター
「この位置でクルとは新鮮!飯野さんタンバリンキタ――!!」

6 TRUE MIND
「これも後半メニューの常連なので前半で演られるのは非常に珍しい」

7 そのままで
「あのフリはいかがなものかと思うが、それ以外は非の打ちどころがない完成度。サビでのケンジのコーラスがたまらん!!」

8 OH MY DARLING
「大阪と同じく、ボンジーが好きな曲と紹介されたスカナンバー」

9 BE HAPPY
「こちらはレゲエナンバー」

10 存在
「この曲はライブだとホント感動的」

11 愛しい人よ
「アレンジが変わって最後のサビが×2だった。オリジナル版には違和感があったのでサビ×2はかなり満足」

12 HELLO MY FRIENDS
「この曲の間奏になるとステージ袖から森重さんが登場するんじゃないかと期待してしまうアキオです」

13 僕らのヒーロー
「サビの振り付けが楽しい!あぁ、こぅキタか!って感じ」

14 SHININING DAYS
「アレンジがシンプルになっている。オリジナル版のアレンジは大仰に感じるのでこちらの方が好み」

15 Calling You
「名刺代わりのナンバーですね。でもこれを聴かなきゃ卓偉ライブに行った気がしない!!」

16 WORKING CLASS HIGH SCHOLL
「ビートが全面に出されノリやすくなっている。」

17 DRIVE MY LIMO
「TRUE MINDと別々になったのって久しぶり?なので最初、何の曲かわからなかった」

18 TO THE MAX
「やはり初期は盛り上がるといわざるを得ない曲。歌詞が上手い」
 
19 SPARKLE MAN
「ここ数年の定番曲すね。ニューワールドツアーの前は化石になっていたような・・・」

20 FREE FOR FREE
「間奏のカリビアンなレゲエアレンジのところで“うまかっちゃん”を連呼させる卓偉。

21 It's up to you(きみしだい)
「大阪と違い、Bメロの後追いコーラスを飯野さんがやっていた。歌い出しの歌詞を忘れて、アドリブ英語で歌う卓偉くん」

22 蜃気楼
「2004年の代表曲であり、今やライブに欠かせない名曲」

23 僕は君のオモチャ
「CD版の淡々とした歌い方に比べ、より表情豊かにエモーショナルな歌い方になっていた。メンバー紹介を含めたアウトロが後期ビートルズっぽいアレンジになっていた」

Encore
①mother sky
「正真正銘、福岡限定曲!みんなが合唱できるように、ほぼフェイクなしで歌ってくれた卓偉に感動。“福岡”は無かったけど、母親に宛てたこの曲が聴けたから満足です!

②I'M SICK SO BLUE
「卓偉くんこの曲好きですよね♪」

③PUNK
「パブロのギターから始まる大合唱チューン」

④テレビジョン
「今回のツアーで最も重要な楽曲。両手をひろげテレビジョンを表している卓偉が印象的。そしてギターをかきむしる姿はパンク。ギターが叫んでいる」

総評:セットリストとしては冬のツアーでやったナンバーは極力やらず、カウントダウンの曲順+新譜をミックスした印象を受けました。

ニューアルバムの曲達は好意的に迎えられたようで、特に「恋の一方通行」と「僕らのヒーロー」は今後のライブで欠かせないナンバーに早くもなりそうな予感。「僕は君のオモチャ」と「テレビジョン」の二曲がラストの位置に置かれるのは今後少ないと思うんですが、中盤とか一曲目にサラッと演奏しても良さそうな感じがします。

はやくも卓偉は次の展開に出ており、9月15日には東京キネマ倶楽部にて中島卓偉スペシャル「過去の僕も知ってください!!」《1部》お昼のカルボーンとNUCLEAR、《2部》今夜のカルボーンとちゃんすわと題し2公演を行う予定。どちらも競争率は高そうなのでお早めにチケットの購入をおすすめします。


オモチャ箱を飛び出した後も目を離せないブリキの兵隊こと中島卓偉!オモチャ箱の次は過去へタイムトラベルだ!


旅はまだ終わりませんよ~!二日目(最終日)は山口県に移動し、最終目的地である卓偉の生地“屋代島”へいよいよ行きます!

つづく・・・。
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本来なら、ここで屋代島の旅行記になる予定だったのですが、予定を変更して卓偉が幼い頃によく訪れた古賀の“花鶴浜”のレポートも作成しちゃいました!

ここは玄界灘に面していている海岸で、別名「たくい平泳ぎ海岸」というそうです!

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場所はというと、古賀にはJR古賀と西鉄古賀があり、西鉄古賀駅の方からずっと西に向かってどんどん歩きます・・・次第に潮の匂いがしてきたら、そこはもう花鶴浜です!

ちなみに卓偉は古賀町筵内(むしろうち)という地域に住んでいたそうです!中島家はもう無くなっており跡地だけだそうですが・・・。もし古賀を訪れる方がおられたら、筵内の探索よろしくお願いします。跡地の場所などはわかりませんが、福岡のTV番組で卓偉が故郷を訪れるというドキュメンタリー番組が放送されたそうなので、その映像を凝視すればある程度予測できると思います。たぶん・・・。

では花鶴浜の写真です

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今回も『傘をささない君のために』の歌詞カードに、この海岸の写真が掲載されているので見比べてみてください。

僕たちが訪れた日は台風が過ぎ去った翌日だったので、雨は止んでましたが、とてもじゃないですが平泳ぎができそうな雰囲気ではなかったです。

空と海のグラデーションが最高です。

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見知らぬ旅人


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みなさんも是非この海に遊びに来てください。マジで最高に美しい場所です。海も浜辺も綺麗だし、何より空気が美しいです。卓偉も幼い頃、よくここに来たのかな~と思うと不意に泣けてきます。


このような素晴らしい景色に囲まれたなら、あれほどまで研ぎ澄まされた感性が育てられたのも不思議じゃありません。

又、名曲「福岡」の「花よ 風よ 山よ 木よ 川よ 土よ 海よ 」という歌詞の意味がここの場所に来てすべて理解できた気がしました。歌詞の「海」がこの花鶴浜で、「川」が花鶴浜から流れる大根川なのか・・・・と。

卓偉は先ほどのテレビの企画で古賀に帰った時の事をこう話しています。

「(生まれた場所は)つらくなるくらい変わってなかったんですよ。コンビニもなければ街灯もない。サビの“花よ 風よ 山よ 木よ”っていうのはその景色のことなんです。もう帰れないと思っていたから、忘れようとしていたのに花も山もあの頃のままで、申し訳ないと思った。そこに行ってみて“福岡”って歌を歌わなきゃいけないと思ったんです」([アリーナ37℃]2004年10月号より引用、音楽専科社 )

ジョン・レノンもビートルズ時代、「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」というジョン・レノンの故郷にある戦争孤児院をモチーフに作った楽曲を制作しています。

そこでジョンは「ストロベリー・フィールズへ行くんだ 煩わしいものはひとつもない」と書き、最後に「ストロベリー・フィールズよ 永遠に」と結んでいます。

ジョンと卓偉・・・この2人は若いときに片親を亡くしているという共通点があるだけでなく、出身地もリヴァプールと古賀が、ともに海に面しているという共通点があるんです(リヴァプールはアイリッシュ海に面しており、古賀は玄界灘に面している)。

ジョンもとい、ビートルズに多大な影響を受けた卓偉が、己の故郷を歌うという点にも影響を受けたことは見逃せない点ですね。そしてジョンが“ストロベリー・フィールズよ 永遠に”と歌ったように、卓偉も“咲き続け賜れ”と、故郷の永遠を願っている点も・・・。

花鶴浜でのBGMはもちろん「福岡」と、打ち返す波のリズムがこの曲のドラムパターンと似通っている「そのままで」に決まりです。



古賀よ、素晴らしい思い出をありがとう!

次は古賀から移動し、天神で行われる、TAKUI NAKAJIMA 2007[GET OUT TOYBOX TOUR]”ファイナル、福岡drum be-でのライブです!

半年以上前ですが、「福岡」という曲ができる迄のエピソードを書いていた記事があったので興味のある人はこちらもどうぞ。→http://dooms446.blog33.fc2.com/blog-entry-184.html





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プロフィール
 

アキオ

Author:アキオ
びびっ!とキタものを Vivid(鮮やかに) 紹介していきます☆★


*中島卓偉*プロフィール

1978.10.19 / 福岡県出身/ A型

バンド活動を経て、“TAKUI”として1999年ソロデビュー。

抜群の歌唱力と圧倒的なライヴ・パフォーマンス、そして稀代のソングライティング能力には業界内・外からも定評がある。

●最新シングル
『3号線』
発売中!

●デビュー10周年記念アルバム『BEST YOURS』
~TAKUI NAKAJIMA Anniversary 1999-2008~
発売中!!←はじめて卓偉の音楽に触れるひとにオススメ!ぜひ聴いてみて♪

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